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AIがあるから英語学習をする必要がなくなった、は大きな誤解
こんにちは。
毎月日本に帰国する際、私はセブ―成田の直行便をANAのマイルでよく利用しています。コロナ前は1日2便運航しており、特に土日は乗客の7〜8割が日本人という印象でした。
それが今では、体感として日本人は2〜3割程度まで減っているように感じます。
もちろん、円安や物価上昇などの影響もあるでしょう。しかしそれだけでは説明できない、空気の変化のようなものも感じます。
当校は2〜3年前から日本人以外の市場にも本格的に力を入れてきました。そのため、なんとか経営は成り立っています。しかし、日本人をメインターゲットとしてきた英語学校は、かなり苦戦している状況のようです。
正直なところ、AIの普及が留学熱に少なからず影響しているのではないかと感じています。
「AIがあれば英語はそこまで勉強しなくてもいいのではないか」
そんな空気が、少しずつ広がっているように見えます。
今日はそのことについて書きます。
1. AIの普及で、ビジネスにおける英語使用は圧倒的に便利になった
AIの普及で最も利便性が増したのは、顧客との英語でのやり取りです。
私自身、日本語のメールでも一度ChatGPTに校正をかけるのがマイルールになっています。
まずは自分で書く。
その後AIでブラッシュアップする。
これだけで、文章の精度が一段上がります。
英語も同じです。
まずは自分で簡単に英語で書く。
その後、AIで表現や文法を整える。
すると、ほぼ完璧なビジネスメールが仕上がります。
正直、これは革命的に便利です。
以前であれば、
「この表現は失礼ではないか」
「ニュアンスは合っているか」
と悩んでいた部分が、一瞬で解消されます。
世界を相手にビジネス展開をするハードルは、確実に下がりました。
しかし、ここに落とし穴があります。
今の自分の英語力があるからこそ、AIを“補助ツール”として使いこなせている。
もし、英語がまだ未熟だった大学生の頃、あるいは社会人(特に銀行員時代)の頃に同じ環境があったらどうだったか。
おそらく私は、こう勘違いしていた可能性があります。
「英語、勉強しなくていいのでは?」
これは非常に危険な発想です。
AIは文章を整えてくれますが、思考までは代わりに作ってくれません。
英語で考える力や、瞬時に反応する力は、別物です。
便利さと実力は、イコールではありません。
2. MBA留学時代にAIがあったら、確かに楽だった
10年以上前、私はMBA留学を経験しました。
当然、当時はAIなど存在していません。
英語でのディスカッション、ケーススタディ、レポート、エッセイ。
正直、かなり苦労しました。
ネイティブとのスピード差。
語彙力の差。
論理展開の差。
特にライティングは大変でした。
エッセイを書くたびに時間がかかり、何度も書き直しました。
もし今MBAに行くとしたらどうなるか。
少なくとも、ライティングのハードルは大きく下がるでしょう。
AIに校正させれば、文法ミスはほぼなくなります。
より洗練された表現にもしてくれます。
ネイティブとノンネイティブの「文章力の差」は、かなり縮まるはずです。
これは間違いなく大きなメリットです。
しかし、ここが重要です。
もし当時の低い英語力のまま、AIに全面的に頼っていたら。
自分で必死に考え、書き、間違え、修正するというプロセスを飛ばしていたら。
今の英語力には到達していなかった可能性が高い。
あの時の苦労は確かに大変でした。
しかし、あの「不便さ」があったからこそ、英語で考える回路が作られた。
AIは効率を与えてくれます。
しかし、土台を作ってくれるわけではありません。
ここを履き違えると、長期的には大きな差になります。
3. AIは使い手次第で、最強の武器になり得る
今の自分にとって、AIは間違いなく最強のツールです。
しかし、それは「AIが優れているから」だけではありません。
使い手である自分がどう使うかによって、その価値が決まります。
今の英語力があるからこそ、英語での文章作成においてAIは強力な武器になります。
・自分でまず考えて書く
・AIで表現を整える
・論理の流れを改善する
・より洗練された語彙に言い換える
このプロセスを経ることで、文章の完成度は一段も二段も上がります。
一方で、英語力がほとんどない状態で、最初からAIに丸投げして英文を作成したらどうなるか。
一見、きれいな文章は出来上がるでしょう。
しかし、それが本当に自分の意図を正確に反映しているのか、
ニュアンスがずれていないか、
ビジネス上リスクのある表現になっていないか。
それを判断する力がなければ、結果的に「確認できていない質の低い文章」になります。
AIは間違えることもあります。
それを見抜けるかどうかは、使い手の力です。
例えば、この日本語ブログも同じです。
私のプロセスはこうです。
第一段階:まずは自分で原稿を書く。
第二段階:AIで校正をかける。
第三段階:再度、自分自身で編集する。
最終段階:もう一度AIに校正をかける。
AIは「最初から全部作らせるもの」ではありません。
あくまで思考を磨くための補助ツールです。
この順番を逆にしてしまうと、思考の深さがなくなります。
AIは、使い手の能力を拡張する装置です。
能力の代替装置ではありません。
4. AI完全依存の文章は、なぜ質が低くなるのか
試しに、ChatGPTにこう指示します。
「AIがあるから英語学習をする必要がなくなったは大きな誤解」というタイトルで文章を作成して。
すると、それなりに整った文章が出てきます。
さらに、
「各パラグラフを増量して」
「もっと具体例を追加して」
と指示すれば、分量のある“それっぽい”記事は簡単に出来上がります。
文章量だけを見れば、大作に見えるでしょう。
しかし、そこには決定的に欠けているものがあります。
それは「書き手の体験」と「葛藤」と「思想」です。
私自身が本当の意味で書きたい記事には到底及ばない、
いわば“凡作”が出来上がります。
もちろん、前提として自分の中身が薄ければ、AIが作った文章の方が中身が濃くなる可能性も十分あります。
だからこそ厄介なのです。
AIは平均点以上の文章を簡単に出してきます。
しかし、突き抜けた文章は、人間の経験と思想からしか生まれません。
だからこそ、今のAI時代は、
AIの能力ではなく、使い手である我々の能力が強く問われる時代だと言えます。
出来上がる完成品の質は、
AIの性能ではなく、我々の思考の深さに大きく依存する。
これは英語学習も同じです。
まとめ
「AIがあるから英語学習をする必要がなくなった」
これは大きな誤解です。
本当の意味で質の高い英語を使いこなすには、
やはり基礎となる英語力が必要です。
そして皮肉なことに、
AIを最大限活用できるのは、英語力のある人間です。
AIをツールとして使える時代だからこそ、
より高い英語力が求められる。
英語を手放す理由になるのではなく、
むしろ英語力の価値が再定義される時代に入った。
私はそう感じています。
